連載・鴉天狗
鴉天狗として、今日もお山を歩いています その2
研究員・大原徹インタビュー 後編
大山流域研究所の小川彩です。インタビュー後編は大原徹が山を歩くと同時に、お山を整備することも「行」として身体化するにつれて、山で観るものの解像度があがっていった話をお伝えします。

大原は「お山を歩かせていただく」という意識で石畳や岩場に足袋を踏み出しています。岩盤の下や土の中など、目に見えない構造まで想像しながら峰々を登拝します。
石畳をつくって知った、行場・拝所の意味
ー 今年も4月末から「大山流域を身体化するプログラム」が始まりました。このプログラムで訪れる場所のひとつに、鳥取県江府町の木谷沢渓流沿いの散策道石畳があります。人気の観光地でもある木谷沢ですが、数年前から散策道の土がむき出しになってしまったため、歩行性と同時に浸透環境もより良くするために伝統的な石畳にする施工が、2024年5月に行われました。
流域環境全体に寄与するこの施工に、僕もボランティアとして参加させてもらったのです。その施工後、大山主峰である弥山(みせん)への登山道を歩きながら気づいたことがありました。

2024年秋、木谷沢渓流散策道にて。施工半年後の石畳の落ち着き方を確認しました。

2024年5月施工直後の石畳。

2024年秋、うっすらコケが生え始めています。
ー 木谷沢で石畳の施工をした後で弥山を登ってみると、登山道で尾根筋を切らないように巻いた道の踊り場には、必ずと言っていいほど水が表層を流れず浸透するよう、人の手によって両側に石がさしてあることに気づいたんです。そしてそこは大抵行場や拝所のような場所でした。大峯奥駈道(吉野と熊野を結ぶ約180kmの峰々)の道中に点在する、「靡(なびき)」と呼ばれるところも同じ構造なんです。
僕はいままで各地のお山を登拝しながら、なぜその場所に行場や拝所があるかという理由を、あまり気にしていなかったんです。ところが木谷沢の石畳を施工した後、気づいたんです。かつて修験者たちは、お山自体をひとつのシステムと捉えていた。八百万の微生物や菌糸たちを育み、地面より下をネットワークさせて行くことで、その集合体であるお山が数千年続いて行くのが「観えて」いた。だからこそ祈るように石をさし、片を付けて行く修行をされていたのでは。
お山での「行」だけでなく、土中の「作業」を学んで、確信に近いものを持つことができたのです。祈りの前提に人の暮らしの営みがあった。流域への身体性を持った先達は率先して人々の営みに直結しているお山に入り、良くなったらいいなぁと石を積んでいたのだろうと……
「弥山」という名は、仏教(特に密教や修験道)の世界観において、世界の中心にそびえ立つとされる聖なる山、サンスクリット語の「須弥山」から来ています。 そのため、弥山と名のつくお山は、そのほとんどが古くからの山岳信仰の拠点、修験道のダイナミックな行場としての歴史を持っています。
大山の弥山では、おそらく八百万の微生物たちにまで目が行き届いているような修験者たちが、自分たちが歩くことによってお山を傷つけることなく、むしろ手を加えることで再生して循環していくような構造をつくっていらしたのでは。その形跡すら感じました。
僕にとっては「木谷沢のビッグバン」のような大きな気づきでした。
このことはお山に登るだけ、学ぶだけでは限界があるように思います。お山に登ることも手を入れることも経験させてもらい、それらをどんどん自分の中で統合させていくことで、僕は腑に落ちるものがあったのです。それこそすべての事象に身体性を、ということなんでしょうね。
いつかみなさんを弥山にお連れして、かつての修験者たちがどのようにお山を見立てていたか、お伝えする時間を持つことができれば、と思っています。
2026年、お山行きの予定
ー プログラムにも修験に関わる方々が来てくださるようになり、各地でお山に向かわれている方々との交流が深まっています。
今年は春に大分の由布岳に登らせていただきました。この夏には奈良・吉野の大峯山での行をまず修めて、その後長野県御嶽山、東北に行って岩手県早池峰山、群馬県妙義山、石川県と岐阜県にまたがる白山へと行かせていただく予定です。(談)